私のおにいちゃんと「血」

私にはお兄ちゃんが2人います。
けど私の1歳上のお兄ちゃんは、生まれてくるときに亡くなってしまった。
先日、おじいちゃんの五十日祭と納骨式が行われた。
納骨のときに、生まれて初めてお墓の中を見た。
そしたら、お墓の中に私のお兄ちゃんの骨壷があった。
今まで亡くなったお兄ちゃんのことは話には聞いていたし、
毎年お盆になると必ずお参りしていた。
けど、話にしか聞いていないし、正直いまいち実感がなかったのです。
それは自分の中でもずっと腑に落ちていなくて
なんとなく私も寂しかったし、きっとお兄ちゃんも寂しい思いをしているはずだと思っていました。
初めてお兄ちゃんの骨壷を見たとき、
お兄ちゃんに申し訳ない気持ちと、私がこの世に生まれてきた幸せが
一度に押し寄せてきて、涙が出てきてしまった。
私が今こうやって幸せに暮らしているのも、全てお兄ちゃんのおかげだと
そのとき初めて実感できた。
同時に先日亡くなったおじいちゃんに対する感謝の気持ちもいっぱい溢れてきた。
私を、この家族に生んでくれてありがとう。
私はおじいちゃんもおばあちゃんもお父さんもお母さんもお兄ちゃんも妹も
みんなみんな大好きで、本当に幸せ。
私が生まれてくる1年前に亡くなってしまったお兄ちゃんの存在を
私は今まで以上に実感しながら生きていく。
おじいちゃんが亡くなってから、いろんな親戚の人と会って
私の「血」をすごく意識するようになった。
私が大好きな人たちと同じ「血」を共有しているということを
「幸せ」だと感じることは何だかとても不思議なことだけど
大好きな人たちと、ひとつのものを分かち合うことは確かに幸せだ。
それが「血」でも「感動」でも。
おじいちゃんが亡くなってから、今まで感じたことのない感情が
どっと押し寄せてきて、嬉しかった。
私は基本的に、あまり「生きる意味」を考えていなくて
そもそも「生きていることに意味はない」と考えているのだけれども
今回それに関して“ちょっと違うな”と思うようになった。
きっと生きていることには少なくとも意味があるのかもしれない。
なんだか、ちょっと真面目な記事になってしまった。